「復幸」であるということ

「復幸」であるということ

こんにちは、根本豪己です!

 

8日間のお試し移住が終了し、仙台にて行われたきっかけ食堂というイベントに参加したあと、東京へと向かう終電の東北新幹線の中。

現地で生まれた様々な方とのあたたかな縁のありがたさを噛みしめながら、最後の投稿を書いています。

 

 

思い返せば、スローな一週間でした。

朝8時に起床し、9時半ごろに家を出て、天気が悪くて寒ければCamassで溜まったタスクをこなし、天気が良ければまちをぶらつく。そして夜は大体呑み歩く。

あえて何も予定をいれず、気分で一日の行動を決めるこのスタンスを取ることに最初は躊躇しましたが、これが結果的に多くの方とのつながりを生み出したのかもしれません。

 

短い期間でしたが、大変よくしてくださった女川の皆さま、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

3月11日、朝。想いが描かれた無数の黄色いハンカチが、海風になびきました。

女川にも早くから多くの人が訪れ、大切な人・ものに思いを馳せる。穏やかな、13年の節目の一日でした。

 

 

震災から今日までの道のりは、どのように表現されるのでしょうか。

「復旧」「復興」「再生」… 色々な言葉があります。そしてそれらはすべて、時間の流れの中で風化の一途をたどっていく。

どこまでが復興で、どこからそうではなくなるのか。そもそも、復興とは何だったのか。

そういった事柄が、曖昧になってくる時期に差し掛かっているのかもしれません。

 

 

 

 

女川にとって、復興の過程は「復幸」の過程でもありました。

復興とは、一人一人が幸せを取り戻すことなのだという考え方があったのです。

だから、現在に至るまでに、女川には多くの「幸せ」が戻り、生まれてきたはずです。

 

 

 

現地に目を向ければ、

どの飲食店に行っても誰かしらに声をかけられ、絡まれている方。

車のナンバーをママさんたちに覚えられちゃったんすよ… と苦笑いしながらも、内心嬉しそうな方。

おれらのまちからはやっぱり海がよく見える。新しいまちなんだ。と胸を張るお年寄りの方々。

そして、ラーメン屋で住民と談笑する町長。

 

震災以降、自発的に、あるいは必要に駆られてなされた各面での「調和」が、新たな形でのつながりを生み出してきた。

そして、そのつながりの中に幸せを感じる要素が詰まっているのだと、そう感じました。

 

 

 

 

復興に深く関わっている、ある省庁の方と話したときのことです。

 

風化という事象に如何に立ち向かっていくべきなのかという問いに対し、こう返ってきました。

いやいや、風化自体は悪いことではない。大切なのは、何を風化させてはいけないのかを見定めることなんだ、と。

 

風化させてはいけないものは、きっと悲しみの記憶だけではありません。

現在までに至る過程の一つ一つに、学ぶべき想いと姿勢があると考えます。

 

女川において、それは「つながりの歴史」そのものなのかもしれません。

 

 

 

黄色いハンカチは、幸せの象徴です。

年を追うごとに増えていくハンカチは、女川での「復幸」が力強く進んでいくことを表しているようです。

 

昼過ぎ、新しいハンカチに「共に生きる」と書いて、女川を後にしました。

 

何度でもまた来ようと思えるような、すばらしいお試し移住でした。

 

投稿者プロフィール

根本豪己
根本豪己
はじめまして。根本 豪己(ねもと ごうき)と申します。
2024年3月4日~3月11日に、お試し移住として女川にお世話になります。
大学生です。都市工学科という学科でまちづくりを学んでいますが、復興まちづくりを社会学的な領域から捉えることにも関心があります。
Close Menu