自分の中で、「いつか力になりたい町」ができました。

自分の中で、「いつか力になりたい町」ができました。

滞在5日目、最終日のみんみんです。
5日間ってこんなにあっという間なんですね。

私と女川町との出会い

就職してもうすぐ二年。なんとなく会社員生活をしている時に、友達から「女川町っていう面白い町がある。」とラインが来ました。
調べてみると、東日本大震災の被災地の一つで、なんだか起業家とかがいっぱいいて活気がある町らしい、、。

んー、行ってみるかぁ。

被災経験もなく、東北との繋がりも0。ずっと都会育ちで、街づくりについても考えたことがない。でも、アスヘノキボウのサイトや女川町から感じる人のエネルギーに吸い寄せられるようにして、気づいたら友達からラインをもらった2週間後には女川にいました。

こんな軽い気持ちで行ったため、電車の窓からどんどんビルがなくなって山と畑しか見えなくなる情景に「どうしよう、ほんとに来ちゃった」と緊張と不安でそわそわしていました。

到着後、すぐにオリエンテーションが始まり、女川について、復興の歴史について勉強しました。アスヘノキボウの雰囲気で少し緊張は和らいだものの、オリエンテーションが終わってシェアハウスに向かう頃には外はもう真っ暗。めちゃくちゃ寒い。正直泣きそう。

ところがです。こんな不安ゲージMAXだったにも拘わらず、滞在4日でもう女川が大好きになりました。
またまた~と思いますよね。ブログでよくある展開ねって。

すみません、よくある展開で。笑 でも私も例外なく、ちゃんと女川の虜になっちゃったんです。

 

まず人が良すぎる。

初日、晩御飯を探しに一人でお店に入って、その場で知らない人の輪に入れる環境がある。ここは海外か?しかもその場で釣り行きたいですって言って次の日に連れてってくれるビール屋さんのお兄ちゃんなんて、聞いたことないです。

 

次に、想いをもって自分の人生を生きる大人がたくさんいる。

女川には、自分に正直で、愚直でまっすぐなかっこいい大人がたくさんいました。

社会人になっていつしか資本主義のラットレースでからから走っている自分に気づかされました。大きい企業に入るとか、お金持ちになるとか、何歳までに結婚するとか、休日はおしゃれなカフェ行くとか、そういうのじゃなくて、本気で自分がしたいことに取り組んで、人がどう思うかよりも自分がこの町にできることをやる。

どの方のお話を聞いても、モノが豊かな東京で暮らす自分よりもずっと心が豊かな方ばかり。お話しする中で、どこか大きく魅せたりしてしまう自分が恥ずかしくなって、「今等身大の自分で話せているかな」と意識できるようになったのは女川で過ごした日々のおかげです。

 

いろいろ奇跡。

震災で町のほとんどが流されてしまったこと。6000人ほどの小さな町であること。復興の際、行政と民間と町の住民が一か所に集まって会議ができたこと。震災以前の歴史から、移住者や新しい考えに寛容な人多いこと。すべての出来事が良いことではないし、傷を負った人もたくさんいる。だけど、このすべての出来事が積み重なって、今の女川があるんだと、身をもって感じることができました。

滞在期間こそ短いけれど、本当に来てよかったです。「この町のために、自分も何かできることないかな」と思ったのは初めてでした

女川の皆さん、何から何まで、ありがとうございました。また必ず「ただいま」って言いに来ますね。

最後に、滞在期間中で一番きれいだった女川の空の写真をいれておきます。

投稿者プロフィール

みんみん
視野を広げたいと思い、東北女川に初上陸。
いろんな暮らし、考え方、人生観を勉強しにきました。
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