復興のあり方

本日、約一週間にわたる女川滞在が終了し盛岡に帰ります。それに伴い、この一週間で感じたことを綴ります。

滞在初日、女川駅から降り立った自分は、駅から一直線に見える海の美しさに驚きました。自分は岩手の学生であり、沿岸の被災地には度々来訪していますが、その地域には海が隠れてしまうほどの巨大な堤防がありました。そのため女川に来た当時は、堤防がないのは新しい町として震災のことを振り切ってしまったのだろうか?そのような疑問も生じていました。

でも滞在をしていく度に、震災のことを振り切ったわけではなく、減災をベースに起きながら発展していく町ということを知りました。防潮堤が存在しないと最初は思っていましたが、実は存在していて、L1,L2津波にも対応している町づくりで、商業用エリアと住宅用エリアが標高によって区別されているなど、一見では分からないところに減災の意識がありました。震災に囚われず、忘れず、前に進んでいく町がつくられている。

そしてこの滞在で出会った人の言葉も自分には深く突き刺さりました。「女川は海と共存していく、復興に正しいはない」復興が正しいかどうかは、その地域の人々が決めることであり、自分がどうこう言えた話ではない。当たり前の話なのかもしれませんが、自分は女川に来て防潮堤がない(と勘違いしていた)のを見て、「岩手の被災地もこうすればいいのに…」そう考えてしまいました。でも、それはその地域の人々の民意で決まったわけで、その意思を尊重しなければならない。よって復興のあり方は各地によって違って当たり前で、どれが正しいとか部外者が勝手に評価したり、決めることではない。そう感じました。

地域を動かすのは、その地域に住む人。その地域を応援しようとするヨソモノは、担い手ではなく、担ぎ手でなければならない。まだまだ未熟な自分ですが、今回感じたことを忘れず、岩手の復興に携われればいいなと思いました。

今回一週間という短い期間でしたが、いろいろなことを学ぶことができました。

関わってくれた人々、そして女川という町に感謝します。

ありがとうございました。

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