【女川マーサ20日目】ついにお試し移住最終日!

【女川マーサ20日目】ついにお試し移住最終日!

長野からお試し移住中の学生、マーサです!

最終日の20日目。ついにこの日が来てしまったと思いながら、パソコンを開いております。実は長野に帰ってきたので、じっくり振り返っていきましょう。

今日は女川での20日間の生活を振り返っていきたいと思います。私が1日目に書いたお試し移住の目的はこちら

🌼私がお試し移住に来た理由

  • 海なし県で生まれ育ったので、海の近くの生活や環境など、まだ見ぬ世界を知りたかった
  • 震災や津波と無縁の環境で大人になり、この機会に自分の目で震災の歴史を辿りたい
  • コロナでの学生生活に飽きてしまい、どこか新しい土地に旅に出てみたかった

🌼女川町でやってみたいこと

  • 町民の皆さんとたわいもない会話をして、おいしい海鮮物をいただく
  • 漁船に乗り、海にでてみる
  • ふと得た気付きをしっかり言葉にしていく

実際に得たことは何だったのか、一つ一つ思い出を巡りつつ、話していこうかなと思います。

 

海がある暮らしと生活

女川に来るとき、友達に「水着は必要?」と聞くと「女川の海はそういう海じゃない」と言われました。「そういう海じゃない」とはどういう意味なのかよくわからず。

来てみて気づいたことは、女川の海にはたくさんの漁船が並び、周りにはみたこともない大きな冷凍冷蔵庫の施設。

そうかここは水産物の町だ」と、考えれば当たり前のことなのに、初めてみる水辺の町に新鮮さを覚えたのが印象でした。

海があれば、漁師さんがいて、加工物を扱うお店があり、生の海鮮物を扱う飲食店があります。女川の半数以上が水産業に関わっているといわれており、長野県では存在しない職業の方がたくさん。

人生で初めて、漁師さんと話すことができて、すごくうれしかったのは本当に本音。出会ったことない貝や魚に出会い、慣れない潮風と魚臭さに具合悪くなり、漁船に乗って漁を体験して。一生に1回も経験しないような機会に恵まれた20日間でした。

そして女川に限らず、このように水産業に関わる人は日本中たんといるということ。そんなことに気づかされ、海辺の町で暮らすとはこういうことなんだと、世の中の常識に出会い私の視野が大きく広がりました。

女川の入り口…!わくわくしたのを思い出します。

 

それでも海の町で暮らすということ

毎日町に出て、地元の人と出会う中で、震災の話は自然と出てきたのが事実。出会った人のルーツを聞くと、震災前は~、仮設住宅の時は~と語りだす方々も多くいました。

津波で多くを失い、11年経った今もまだ復興途中の女川町。震災の遺構や慰霊碑も多く、巡れる土地には足を運びました。女川町を離れることもできた中で、それでもなぜ女川に残ったのか。

女川出身で飲食店を営む店主さんは「津波を恐れても毎日来るわけじゃない、これは人生に1度の経験だったと思う。そしてどこに引っ越しても、災害が起きない土地はない。それなら、家族と一緒に女川に残っていたいと思った。」と話してくれました。

皆さん理由はそれぞれで、家族が、仕事が、という理由もありつつ、どこで生きていてもリスクがあるのは同じなのだから女川に残ると考え、ここにいるのも1つの理由のようです。

これは私にはハッとさせられた理由でした。確かに津波という災害では女川は影響を受けやすい土地かもしれません。しかし、長野に津波が来ないから安全なのではなく、私の住む土地でも明日日常を失う可能性は大きくあるということ。そして、どこにいてもそれは同じなのだから、震災後も自分の生まれ育った町にいたいという町民の思いは、正しいということ。

海なし県で育った私の「海が怖い偏見」と「津波被害に対する不安」で、一生住むにはリスクな町だと思っていたのが盲点でした。

いろんな思いがありこの町に残り、復興とともに生活を取り戻し、家を建て、仕事をして。たくさんのことを乗り越えてきた皆さんだから強い町への愛と繋がりがあるんだと感じました。

毎日、日が暮れると綺麗だった女川駅。後ろからだと天井が綺麗に見えて好き。

一期一会を大事にするということ

できるだけ家には籠らず、毎日飲み歩く生活を続ける中で、本当にたくさんの町民の皆さんに出会いました。お酒が入るとより深い話ができるのもリアル。

ある人が「大事にしていた人を津波で失ってしまった。言いたかったことがあったのにと、後悔している。言いたいことは言えるときに伝えるべきだし、時間はあると思っちゃいけない。

そんな風に飲みながら私に語ってくれました。生き急げというわけではなくて、今ある時間を大事にすべきだし、今会える人や環境と向き合うことを大切にすべきだと教えてくれました。

きっと震災を経験した女川の人は家族や友人、知り合いを亡くした経験があるから、心から本当にそう思うのだと思います。もう明日は出会えないかもしれないという一期一会の出会いが、私の女川生活に意味を成してくれました。

女川を発つ前夜。ぶんさんとれいかさんがサービスしてくれました。

飲み屋さんで長野から来たというと、他のテーブルなのに「美味しいから」と刺身を1切れ分けてくれたり、これもおいしいよとおすすめを教えてくれたりしました。

だんだん飲み歩くと常連さんたちと繋がるようになり、いろんな人につなげてくれました。「あの姉ちゃんにお酒いれてあげてや」「まぁは何飲む?好きなのどうぞ」とおごってくれる皆さん。お会計をしようとすると「これはサービスだから」とか、「先ほどの人があんたの分も払ったので結構よ」と店主さんにいわれることもしばしば。この場合、先に帰られてしまったので、払っていただいたのにお礼もできず、なんだか罪悪感のある一期一会のパターンもありました。

私が若いから・かわいいから、そんなことはお世辞にしても、見ず知らずの初対面の私にご飯やお酒をプレゼントしてくださるのは、本当に町民の皆さんの温かい優しさがあると私は思います。ほとんどが私の父や母と同世代で、娘のようだと慕ってくれた町のお父さんお母さんたち。感謝でいっぱいです。

「あのお店いったことないだろうから行こう」「せっかく女川に来たんだからマーサにいい思いをしてほしい」「面白いやっちゃ、おまえに出会えてよかったよ~」とそんな言葉にうるうるしたのも事実です。(書きながらリアルに泣いてます)

きっと20日間の出会いだったのが良かったのかもしれない。お試し移住という期限付きだからこそ、時間を大事に人を大事にできたのだと思います。

でもこれは日常にも言えること。時間は有限で、一生出会うことのない経験に明日も出会うかもしれない。そんなことを思いながら毎日を大事にしていきたいとより強く思うきっかけになりました。

 

これからの生活

まずはお土産を家族と分けつつ、女川であった話を沢山しようかなと。そしていつもの日常に戻っていきます。

塾講師のバイトをして、キッズヨガの講師として小学校を巡って、祖父母と昼間を過ごして、時々ラーメンを食べる生活です。変わらず、元気に過ごす毎日を大事にしていきたいところ。

女川に車で来たことで、どこにでも旅に出る自信がつきました。まだまだ行ってみたところがあるので旅をしたい!

来年4月からは小学校の先生になるので、それまでの時間を大事にしていきたいです。

女川にはきっとまた戻ってくる…!冬が明けて新社会人を頑張って、ちょっと伸びたいときに皆さんに会いに行きます。

またいつか、またどこかで!

長野の実家の前の田んぼ!台風後で、もさぁっと!いい自然

 

 

 

 

 

投稿者プロフィール

工藤茉紗美
工藤茉紗美
長野の箱入り娘 まーさ(Kudo Masami)
海なし県の長野県長野市生まれ・育ち。信州大学教職大学院1年。第一種小学校・特別支援教員免許保持。好きなことは新しい人に出会うこと、自分の知らない環境に飛び込むこと。ダンスとヨガをします。ラーメンは週2で食べるほど愛してます。新聞が好きです。
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