穏やかな波の音。すこし慣れない潮の匂い。言われないと「にゃー」に聞こえない、間延びしたうみねこの鳴き声。
なんてほとんど感じない距離なのに、視界の奥に広がるのは青い海。駅の展望台から見る女川の商店街は建物がとっても低いので、この距離でも海が見渡せるんです。
後ろを振り向くと途端に山。空が曇っている日は山が霧の帽子をかぶっていて、幻想的な風景が広がってる。
初日の私は、女川の景色にそんな感想を浮かべていました。
震度5以上の記憶がない。それが関東の高校生
被災したことがない高校生は震災について「授業で聞かされる話」「どこか遠くの地方の大変な出来事」って認識の人が半数。もしかしたらもっと多いかもしれないと考えています。女川に来て数日経つまで、私もそう感じていました。
ところが女川に来て数日で、あっさりその感覚はひっくり返ってしまいました。
きっかけになったのは、初日にまち歩きをしたとき。
旧女川交番に訪れた際に、一段と「日本人として震災を受け止める」感覚が研ぎ澄まされました。
はじめに建物の近くで数分間アスヘノキボウさんからの解説を聞いたのち、自由に見学する時間を取っていただきました。
右手に詳細なデータが掲示されているパネルを読みながら、歩みを進めます。
ふと左手の草木に紛れた、交番だった建物をじっくり眺めていると、鉄筋がぐにゃりと曲がっていることに気がつきました。何メートルもある錆びた鉄筋が曲がるさまは、薄い針金のようでした。
建物が横に倒れているのも印象的だったけど、なぜかその鉄筋が脳裏に焼き付いて離れなくて。きっと、一番身近で丈夫なものが日常では絶対目にしない状態になっていたのが衝撃的だったんじゃないかな。
とにかく、そこから震災について「実際にあった出来事」「受け止めて作りなおした人々はそう遠くない」という存在だと改めて受け止めることができるようになりました。
そしてこの感覚は、地震大国に住まう日本人として養っておくべき感性であり、「日本人として震災を受け止める」感覚だと感じました。
同じには見えない、青色
その後。4日目に銀鮭広報部さんで朝ラーメンをいただいた後に、初めて女川の海沿いを歩きました。
海沿いで釣りをしているお爺さん(話しかけたところ、仙台の方だった)を横目に海を眺めながら、今まで目にしてきた数々の写真やあの建物、鉄筋を再生する。津波があの甚大な被害を出したんだと改めて感じ直してみる。
これがどうにも、目の前の穏やかな海と結びつかないんです。不思議な感覚でした。だってこんなに静かで、釣りをしている人が何人もいて、うみねこの声と潮風だけが音を音を立てる穏やかな景色が広がっているのに。
今回震災関連で一番の学びは「日本人として震災を受け止める」感覚を養えたこと。そして、被災した人にしか等身大の恐ろしさは分からないと気づいたことでした。
これは女川に訪れなければ知ることのなかった感覚でした。



