【女川マーサ3日目②】女川のまちづくりとBBQ

【女川マーサ3日目②】女川のまちづくりとBBQ

長野県からお試し移住中の学生マーサです!今日は3日目。早朝に漁業体験をして、昼間に石巻市の門脇小学校の震災遺構を見に行った話は①でまとまっています。記事はこちら(https://onagawa-kikkake.jp/2022/09/03/19826/

この記事では3日目②ということで、今日知った女川のまちづくりと、夜のおいしい海鮮のBBQのレポートをしていきます~!

 

女川の復興約10年のまちづくり

今日の夕方は女川復興協議会の阿部喜英さんに、女川町のまちづくりについてのお話を伺いました。

家業は女川町で3代続く新聞配達屋さん。私の父と同年代の女川町民。

 

この写真は私がHLABインターンで作成した動画の様子

3.11の震災による被害で、女川町は日本で一番被災死亡率が高かった町。住宅も約80%が津波被災し、ほとんどの住民が自宅を失いました。

阿部さんも被災者。家業である新聞屋は、女川町民がいないと成り立たない商売であり、家業を残すため・女川町のために、約10年復興に奔走してきた町民の1人です。

「還暦以上は口を出すな」

当時震災後4月に女川復興協議会(FRK)が立ち上がり、当時の代表高橋会長(当時60歳)が、まちづくりの最初の会議でおっしゃった言葉だそうです。

当時がれきだらけだった土地を、町として復興していくには10年、20年かかっていくことを見越して、当時30・40代だった世代に復興のまちづくりを託すことを決めたそうです。

動画のリンクこちら(https://youtu.be/i7WPYqlLMYA)

 

当時40代だった阿部さんも託された町民として、そして今後も震災が起きるリスクを承知で今日まで女川町の復興を担ってきました。

津波の被災後、人口減少や水産業・商工業の衰退などの課題がありましたが、これらは震災前から女川町が抱えていた課題。このように震災があってもなくても課題だったものを、震災のせいにするのではなく、本質を見極めたまちづくりを大事にしてきたそうです。

震災の復興と共に、もともと抱えていた町の課題にも向き合いまちづくりをしていく。そんな姿勢が今の女川町の姿につながっています。

女川町は震災後海辺に防波堤を設置していません。すぐ山がつながる土地なので、山を削りその土で町全体を盛り土して、海よりも高い土地を作り上げています。

津波が来た高さより以下の場所には居住地を立てることを禁止するルールを設け、女川に住むと決めた人が自らリスクを承知で、自分たちが「住み残る町」を考え再建してきました。

そして一度女川を離れた人が「住み戻る町」、私のような外からの人間が「住み来る町」にする。この3つが女川復興の3つのポイントです。このお試し移住も復興活動の1つということがよくわかります。

女川町が完全に「復興」したかというと、もちろんそうではなくて。終わりの見えない「復興」に取り組む、阿部さんの町民としての姿勢や、熱い思いがとても心を揺さぶられました。

これから約2週間住む女川町ですが、このような女川町の復興のルーツを知ってから町を見ると、また違った視点でこの土地に触れることができます。これからの生活も楽しみです。

駅前のコワーキングスペースCamassで阿部さんのお話を聞く様子

海の幸!BBQ

夜は駅から5分ほど車を走らせたところで、BBQをしました。東北はやはり秋ですね…!まだ紅葉にはなっていないのですが、気温は一気に肌寒い感じ。涼しい風を感じながら外でおいしい特産物をいただきました。

目玉はなんといっても女川のホタテ!このサイズのホタテをこんな風に焼いて食べるのは人生初。長野で買おうとおもっても手に入りません…。

そのまま焼いていただいたのですが、潮のしょっぱさとホタテのジューシーさが相まって、ほっぺは落ちてました(笑)ぷりぷりでうまみがあって、実が締まっていて…!本当においしい。

 

お試し移住の学生たちと火を囲みながら、まったりした時間を過ごしました。明日も活動が盛りだくさん…!

明日の投稿もお楽しみに~!

 

 

投稿者プロフィール

工藤茉紗美
工藤茉紗美
長野の箱入り娘 まーさ(Kudo Masami)
海なし県の長野県長野市生まれ・育ち。信州大学教職大学院1年。第一種小学校・特別支援教員免許保持。好きなことは新しい人に出会うこと、自分の知らない環境に飛び込むこと。ダンスとヨガをします。ラーメンは週2で食べるほど愛してます。新聞が好きです。
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