最近、僕は野蒜にある「キボッチャ」という場所によく通っています。そこで、とても印象的な方に出会いました。
初めてお会いしたとき、その方は何気ない口調でこう言いました。
「自然と会話するの好きなんだよね」
正直、その時は「え、どういうこと?」と思いました。失礼ですが、「スピってんのかな?」とも感じました。東京で生まれ育った僕にとって、「自然と会話する」という感覚はまったく想像がつかなかったからです。
自然が話すとはどういうことなのか。その人は何を「会話」と呼んでいるのか。気になっていろいろ質問をして、一緒に過ごす時間が増えるうちに、その言葉の意味が少しずつわかってきました。
その人は、自然を誰よりも大切に考え、自然を基準に行動している人でした。そして何より驚いたのは、その人の観察力です。
歩いていると、「ここ、あっちより少し地面が低いね。」と、ごく自然に口にします。僕には意識して見ようとしない限り気づけないような地面のわずかな高低差を、その人は歩きながら感覚だけで捉えています。
さらに、「ここは地面が低いから、雨が降ると水が集まる。水が溜まると土が乾きにくくなって、腐敗しやすくなるんだよ。」と、その場所でこれから起こる自然の変化まで読み取っていました。
僕にはただの景色にしか見えない場所でも、その人には地形や土、水の流れ、植物の様子など、たくさんの情報が見えているようでした。まるで自然が発しているサインを、一つひとつ受け取っているように感じます。
最初は、「自然と会話する」という言葉は少し大げさだと思っていました。でも今は、その意味が少しわかる気がしています。自然が本当に言葉を話しているわけではなく、土の状態や風、水の流れ、植物の変化など、自然が発している無数のサインを五感で受け取り、それに応えている。その積み重ねを「自然と会話する」と表現していたのです。
僕はこれまで自然を「見るもの」だと思っていました。でも、その人は自然を「対話する相手」として見ていました。同じ場所を歩いていても、見えている世界はこんなにも違う。この出会いをきっかけに、僕も少しだけ足元や風、植物に目を向けるようになりました。
もしかしたら、「自然と会話する」というのは特別な能力ではなく、自然が発している小さな声に気づこうとする姿勢のことなのかもしれません。




