堤防をあるく

堤防をあるく

こんにちは、根本豪己です!

 

お試し移住最終日、8日目の朝です。

(東京都民にとって)凍えるような寒さだった女川で、ようやくの暖かさ。

昨日どこかでマフラーを紛失しましたが、これなら無事に帰ることができそうです。

 

 

お試し移住が終わりを迎えるにつれて、「こっちにきて何をしてたんですか?」と問われることが増えました。

いろいろやってはいたのですが、とりあえず最も分量が稼げそうな話題を取り上げて、記事にしてみようと思います。

 

 

…それは何か?

堤防です。

 

 

 

 

 

変なマニアとかではないです。

 

 

 

 

 

堤防には、そのまちの特徴が現れます。

それは、地形や産業、そしてカネといったもの。当然、人の影響も強く表層化します。

 

堤防のまわりには、地域が紡いできた歴史と現行の法律・規則が混じりあうことで生まれた何かが眠っています。

 

堤防と、そのまわりのまちなみを眺め、歩きながら、普段意識しないそれらに思いを馳せる。

簡単な事前調査をベースにした、まるで「古地図」を片手に持っているかのような堤防めぐりが好きです。

 

移住中にも石巻―女川間を歩いたり、移住者の方に雄勝地区へ連れて行ってもらったりしていました(本当にありがとうございます)。

色々「語って」しまいたくなる気持ちを抑えて、それらのごく一部をここでお伝えできればと思います。

では、どうぞ。

 

 

 

2024年3月7日・石巻市

 

写真右側・草に覆われた部分は堤防ではなく「防災緑地」。その向こうに、さらに高いコンクリート製の堤防が隠れている。

防災緑地は「二つ目の堤防」であり、津波の威力をより減勢することを目的として造られる。

加えて、これは町を見渡すことができる遊歩道でもあり、また「コンクリートに覆われている感」を減らす覆いでもある。

 

太平洋沿岸各地に所在する復興記念公園も含め、大胆に土地が使われる。

「災害危険区域」に指定された地域では、新たに「住む用」の建物を立てることができないというのが一因だ。

ちなみに、上の写真の撮影地点はかつての大規模な住宅密集地の内部であり、当時は海沿いまで家が並んでいた。

 

 

 

2024年3月7日・石巻

 

「陸閘」が開いている。

万石浦と太平洋をつなぐここには、水辺に小規模な水産加工施設が立ち並ぶ。堤防の先には簡易な船着き場があり、そこでちょうど採れた海産物を持ち帰る瞬間に立ち会うことができた。

 

さらに万石浦方面へ進むと新しい住宅街に入り、その奥には老人ホームや巨大なイオンが立地する。同じような堤防が続いていても、その背後では多様なまちなみが連続して表れている。

決して、すべてがさら地になっているわけではない。

 

 

 

2024年3月10日・雄勝

 

「陸閘」二つ目。この地域は港へのアクセス手段として陸閘を選んでいるから、人だけでなく車も通れる大きさだ。

扉の高さは4.5m、重さは6.6t。人の力ではとても動かすことのできないこの扉は、緊急時に自動で閉鎖するようになっている。

 

扉が自動で開閉するのは、人力で動かせないからだけではなく、「多数を救うため犠牲になる誰か」という構図を生み出さないようにするためでもある。

 

 

 

2024年3月10日・雄勝

 

さきほどの陸閘があった堤防を陸側から見ると、その堤防は巨大なキャンバスであったことに気がつく。2022年に開館した「海岸線の美術館」である。

ドラマチックに言えば、「景観を消し去るもの」ではなく「景観を生み出すもの」として堤防を捉えたということ。堤防の表面に貼られているパネル一枚一枚には「オーナー」がいて、その人たちの想いが集まり、新たな景観を形作っている。

 

堤防の建造をネガティブなものとしてではなく、これもまた、まちにもたらされた新たな変化の一つなのだとフラットに捉え直すことで、価値を再発見しようとする取り組みが各所で見られはじめている。

 

 

 

2024年3月10日・雄勝

 

道の駅「硯上の里 おがつ」から。

堤防の高さまでかさ上げした箇所に立地するこの道の駅の魅力は眺望である。高台から、リアス式の美しい海の風景を一望できるのだ。

日曜日の昼間。イベントが開催されていたこともあり、明るく賑やかな雰囲気を感じた。

 

一方で、メディアでは「壁に囲まれたまち」などとセンセーショナルに語られることの多い雄勝。

「道の駅付近だけでなく、土地を全体的にかさ上げしてしまえば、景観も保全され、観光客もさらに増えたのでは?」と感じてしまうが、そう上手くはいかない状況があったとのことだ。

強い想いに突き動かされながらも、様々な状況・制約の中で最終的に今の形が生まれてきたのだということを、その過程も含めてやはり認識し続ける必要があるのだと思う。

 

 

 

 

…これくらいにしておきます。

いろいろ勘案してかなりざっくりした記述になりましたが、書けて満足しました。

 

 

 

 

さいごに。

少し上でも触れましたが、「復興の成功例」「復興の失敗例」というある種残酷な一般化が、その地域を見えづらくさせているという感覚が、浅学ながらあります。

 

堤防がなく、海のみえる女川。

僕は今の女川のまちなみが大好きですが、そのきれいなまちなみの下には過去があり、上には人の暮らしがある。

復興の過程で下された「すべての居住地を高台に移す」という判断は、まちを「きれい」にしすぎてしまったのかもしれません。

 

そういった物事の輪郭を掴むのに、一週間という時間はあまりに短すぎた。そんな葛藤を抱えてお試し移住を終えることになりそうです。

ただ、実際に生活をし、現地をあるき、考えることができたこの時間が、ものすごく貴重なものになっています。

投稿者プロフィール

根本豪己
根本豪己
はじめまして。根本 豪己(ねもと ごうき)と申します。
2024年3月4日~3月11日に、お試し移住として女川にお世話になります。
大学生です。都市工学科という学科でまちづくりを学んでいますが、復興まちづくりを社会学的な領域から捉えることにも関心があります。
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