こんにちは,滞在99日目のわっきーです!
今日は2024年3月11日。
東日本大震災から13年が経ちました。
晴れやかで春らしい,暖かい1日でした。
朝の散歩中ちょうど小学生が登校中で,みんなから「わっきー,おはよー!」,「わき先生何してんの?」と声をかけられて,「いいから早く行ってらっしゃい!」と送り出す天気以上に気持ちの良いスタートを切った1日。
14時46分には, サイレント共に, 震災を経験していない子どもたちと一緒に黙祷しました。
震災は経験していないけど, 親戚やおじいちゃんが津波で亡くなってしまったと教えてくれた子も何人かいました。
なんとも言えない気持ちになります。
〜少し昔話を〜
2011年当時,僕は10歳。
半袖短パンで走り回ってバレーボールに打ち込む,札幌市内の小学校4年生。
学校が早く終わって自分の家に1人でいました。
当時の札幌は地震で大きく揺れることは滅多になかったので,震度3の揺れに驚いたのを今でも覚えています。
テレビをつけるとどのチャンネルも地震速報と津波警報。
画面のあちこちが赤かった。
津波の映像はドラマを見ているようで,とても現実に起こっているものとは思えませんでした。
…時は過ぎて2年前の2021年。まちづくりに興味をもった大学2年生。
東北に来たからには「復興まちづくり」を学びたい。
被災地が10年間,どんな復興の足跡を辿って,どんなまちになっているのか。どうしても自分の目で見たくて,被災地巡りを始めました。
その時に初めて訪れてシビれました。
他の地域も見てきたからこそ,
「海がある…!」と感じたエリアのデザインとソフト面の復興プロセス。
そしてそれを教えてくださった,復興に大きく関わった末さんとの出会い。
これをきっかけに「まちづくり」の中でも,「エリアマネジメント」や「官民連携」,「まちづくりコーディネーター」というキーワードに興味が絞られ,まちの人との対話を大切にするようになりました。
部活を辞める決断をして,現地にわざわざ行ってまちづくりの勉強をするようになった理由もここにあります。
~~
『4年間の大学生活を創ってきて,僕の将来も創るかもしれない。』
女川は僕にとってそういう場所なんです。
津波はあまりに多くを飲み込みました。まちの資源も,財産も,人の心も。
でも13年間で,津波をきっかけに多くを得てきたのも確かです。
実際に僕も,震災がなければ女川に出会っていないし,この4ヶ月間で出会った人たちとも出会えていない。
記憶や想いって年月が経つと薄れていくものですが,13年目の節目に急に色濃くなった。
初めて現地で迎える3.11は特別な想い。
震災を話題に出すのは失礼なんじゃないかと感じるくらいのこのまちでは,僕だけじゃなくみんな希望を持って上を向いています。
ではまた!
投稿者プロフィール
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福島大学理工学群4年。
2年前の2021年に被災地巡りをしている際,女川に出会い,海の魅力を失わないデザインとまちづくりのプロセスに惹かれた。
女川みらい創造株式会社でのインターンのため,お試し移住制度で移住。
まちを五感で感じるために色々なまちに旅に出ている。
2022年夏にアメリカ一周達成
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