「還暦以上は口を出さず」の復幸計画

「還暦以上は口を出さず」の復幸計画

前回の記事を読んでくださった方、ありがとうございます!

 

ただ、女川町とはどのような場所なのか。そんな質問をいくつか受けました。

これからblogを通して魅力を発信していきますが、私自身大好きな女川町をおおまかにご紹介したいと思います!

 

女川町は宮城県牡鹿郡、太平洋沿岸に位置します。人口5,919人、小さな町です。

 

3.11、あの日の出来事

まず女川を語る上では、2011年3月11日の出来事は欠かせません。東日本大震災です。

私は当時、福岡にある自宅のテレビで津波の映像を茫然と眺めていました。そんな津波がリアス式海岸の特徴を持つ女川町には、最大14.8m(最大遡上高34.7m)襲いかかりました。死者は827人に上り、この人数は人口比率でみてもトップクラスの被害を受けたことになります。町も瓦礫の山と化し、壊滅的な状態になりました。

時の流れを感じてほしいと震災当時のまま残されている旧女川交番

震災によって甚大な被害を受けた女川町。これから復興を進めていくにあたって、テーマを設定しました。「還暦以上は口を出さず」。震災前まで町の中心を担ってきた世代が、将来を担う若者の盾となり全面的に支援することを決めたのです。またこの時から、町民一人ひとりが幸せを取り戻すことが復興だという思いで、「復幸」の文字が使われるようになったそうです。

 

3段階のエリアに分かれたまちづくり計画

そして今の「海と共存する女川町」がつくられました。

海と共存するとは?そう思う人も少なくないでしょう。

まちの断面イメージ図

減災対策をしながらも、防波堤はつくらず海が見えるまちづくりを進めました。高さのレベルを3段階に分け、居住地、市街地、公園・漁業施設を建設しました。中でも居住エリアは東日本大震災と同程度の高さの津波に耐えられるよう設計されています。

またそれ以下のエリアには木造建築の施設が目立ちます。津波が来た時、すぐに復興させるためわざと壊れやすいよう設計されているそうです。何度でも立ち上がる。女川町民の決して諦めない気持ちが表れているように感じます。

 

タクシー運転手が「道がわからない」というように、昔の街並みとは全く違う

シーパルピア女川、両脇には飲食店をはじめとした多種多様な店舗が並ぶ

新しい女川には、温泉が復活し、駅から正面にはシーパルピア女川という施設が建設されました。

海鮮丼、フルーツジュース、ラーメン、お酒を飲めるバー、スペインタイル、ダイビングなど多種多様な店舗が営業しています。

 

女川に来ると美味しい食べ物がありすぎて、帰る時には体重が増えてしまうという噂も。笑

 

そんな素敵な街並みは、グッドデザイン賞などいくつもの表彰を受けています。

震災から今にかけての復興には、国内外問わずさまざまな人が関わりました。

女川町はそんな人々の想いが詰め込まれた場所なのです。

投稿者プロフィール

まっちゃん
まっちゃん
大分生まれ福岡育ちの大学生。
現在は東日本大震災の記憶や被災者の声から、学生の防災意識向上を目指している。
1月10日から17日までお試し移住体験で女川に滞在する。
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