山崎さん

山崎さん

先にお断りさせて頂きますが、わたしは山崎さんのことを尊敬してこの文章を書きます。

「金を貰うために働いてるんだったら他をあたってくれ」と言われ、わたしは言葉が出なくなりました。

「Yume Wo Katare Onagawa」(以下yume)で働かせていただきながら女川での滞在費を捻出していたわたしにとって、yumeの山崎さんに言われた言葉は心に突き刺さりました。

yumeは皆様ご存知の通り、女川町で最も行列のできるラーメン屋になりました。もともと二郎系の人気店だったことも客寄せ効果を発揮し、町外からいらっしゃるお客様もたくさんいらっしゃいます。

山崎さんはyumeでラーメンを調理できる唯一の方です。リーダーシップがあって明るくて、そして誰よりもラーメンのことを考えて愛していると思います。

だからこそ、生活費を目的にyumeで働いていたわたしの働く姿勢は彼にとって最悪なものでした。1日中シフトが入っている日の朝に2徹して体調を崩し迷惑を掛けたり、情報共有が出来ていなかったり、ミスに気付けなかったり・・・

わたしが寡黙すぎることもあり十分にコミュニケーションも取れず、お客様に楽しい雰囲気を届けることが出来なかったことは今となっては大きな後悔であり反省です。精神的に向上心のない私はバカです。

山崎さんは「yumeで働いてくれたらお試し移住プログラムの費用をyumeで負担します!」と言ってくだっていました。実際に負担、いや、言い換えればそれはわたしに「投資」してくださっていました。それは「女川の全てから学ぼうとするわたし」への投資でした。

実際のわたしはどうだったのか。山崎さんの投資に見合う貢献が出来ていただろうか。少なくとも自分の中で貢献できたと思えるような記憶は一つもありませんでした。悔しい。悔しすぎる。後悔と自責の念で頭が一杯になりながら地元への帰路につきましたが、注意散漫で夜行バスに乗り遅れ、余計なホテル代と新幹線代でせっかく頂いたお給料さえ全て無くなってしまいました。

自分はポンコツだった。実家に帰り数日ほど自暴自棄になって心の中に引きこもりました。

ただある時ふと、山崎さんがわたしを叱る際に毎回言っていた言葉を思い出しました。

「出来ていることもあるんだから、そこは肯定して、出来ていないことと区別して考えよう」

その言葉を思い出したとき、こんなに引きこもっていても何も生まれないじゃないかと正気に戻ることができました。女川での貢献は出来なかった。でも、これからでも遅くないのではないか。

気持ち悪いと思われる方もいるかもしれませんが、我に返ったわたしは何をしたかというと山崎さんを知ることから始めました。編集者の箕輪厚介は今でこそ一流と言われる人間ですが、今よりも若い頃は幻冬舎の見城徹氏に惚れ込んでその言動などを真似しようとしたという話があります。そうすることで、見城徹氏の考えていることが分かるようになったと箕輪さんは語ります。山崎さんはわたしの持っていないものばかり持っていましたから、山崎さんの言う貢献とは何かを本質的に知るには、これはもう山崎さんに成りきってしまうのが1番の方法なのではと感じたのです。

まずは山崎さんの仰っていた「どんどん仕事を学びに行く姿勢が見えない」という注意から反省し、能動的にいろいろな人から学びを得ようと努力するよう努めています。具体的には人に積極的に質問してみるなど・・・考えてみれば当たり前のことですが、自分のコミュニケーションの基本的なことから見直してトライしようと考えました。そのお陰からか最近は会話が楽しくなったように思います。

また、facebookから山崎さんお気に入りの本を購入して読んでいます。「ハーバード流宴会術」という本なのですが、この本に記述されているノウハウを読むたびに山崎さんの行動が頭に浮かぶのです。進研ゼミの広告の「これ進研ゼミでやったやつだ!」状態です。山崎さんはこの本の内容を高いレベルで理解し、再現して行動することができているということに驚かされました。具体的な内容は山崎さんに失礼なので省略しますが、わたしもこの本の内容を実行できるレベルで理解することが出来たとき、初めて山崎さんの言っていたことも本当の意味で理解できるのかもしれない、そう思うとわたしの胸は熱くなります。

そして幸運にも、山崎さんに恩返しをするチャンスがわたしに与えられました。漁師を夢見る小野寺明日香さんに誘われ、4月27日に山崎さんが代表を務める京都の日替わり店長の店「魔法にかかったロバ」にて、彼女とともに「崎浜NIGHT」というお店を1日店長として開くことになりました。そこでは女川での経験についてお話させて頂く予定です。その日まで山崎さんについての研究を続けてみることにします。それによって女川での全ての反省をこの日で全て昇華させ、山崎さんの投資のリターンに見得るような働きをすることが、今のわたしの夢です。

投稿者プロフィール

Saito Euro
19歳。防災を軸に活動を行っています。大阪市都島区の福祉避難所を、行政と地域コミュニティのつながりという観点から変えています。また、地域コミュニティの強化を目的に近畿圏の小中学校や公共施設等にて将棋を教えています。将棋元県代表・弐段。立命館大学ESSで防災情報伝達についてスピーチを通して学んでいます。最近は行動経済学や民俗学がマイブームです。ギター弾きます。#やさしいかくめいラボ
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