女川町。
人口およそ6000人。宮城県の東部、牡鹿半島に位置する小さなまちです。リアス式海岸を持ち、まちからは港が見える。水産業が盛んです。
正直、私は女川のことをよく知りません。きっと、他にも「女川ってどこ?」と思っている方いらっしゃると思います。
他のさとのば生がいなければもっとでした。
女川町のことは、昔小学生の時に教科書で見たことがあるくらいです。
そう、震災の話です。
全てが流されてしまっっても、それでも懸命に前を向いて復興の取り組みをしていく姿を描いた、ノンフィクションが。子どもたちの短歌か詩かを取り上げていたはずです。鯉のぼりの話だったことだけは印象的に覚えています。
女川は震災による津波の影響でまちが壊滅的な被害を受けました。実に当時の人口の約1割の方が犠牲になってしまったのだそうです。
今でこそ、そのまちづくりは評価されているけれど、まだまだ途中なのだと言っていました。全く同じには戻ることはできませんから。
今回女川に来た大きな理由は女川にいるさとのば生に会いに来たからではあるけれど、震災被害を受けたまちでもあり、私がまちづくりに興味があったことから、ちゃんと町ブラしてきました。と言いつつも、オリエンテーションでお試し移住に来た人たちはまち案内をしてもらえるので自発的な行動ではないんですけどね。
女川にある唯一の震災遺構である旧女川交番。
鉄筋コンクリート製にもかかわらず、横倒しになってしまい、見ることは一生ないであろう建物の裏側が見えます。しかも、その旧女川交番は元々あった位置に今あるのではなく、津波で押され揉まれゴロゴロ、ゴロゴロ転がって、今の場所に落ち着いたのだそう。
津波の爪痕、そして恐ろしさを感じることができる場所でした。
そのままの状態で残されているので、草で覆われている部分があったり、繋がれたままの固定電話もあったりします。
ただ、割れた窓ガラスや、剥き出しの天井など生々しさもあるので、苦手な方、辛い経験をされた方はご注意を。
その後はここまで津波がきたよと言うラインの入った柱がある医療センター。当時の中学生が建てた、これよりも上にいけという石碑。防波堤を建てない、海が見える景色を残す減災という方法をとった女川のまちづくりの工夫(詳しくはぜひご自分の目で)。そのまちづくりを実現するために踏んできたプロセスなんかを案内してもらいました。
夜には港で語り合ったりなんかしちゃって青春かよってね。
波の音を聞きながら、夜更かしして。
まちに灯る灯りになんだか泣きそうになったりもして。
そんなこれはきて2日目のお話。
投稿者プロフィール
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さとのば大学1年生、宮原桃花です。今は秋田県五城目町に滞在しています。出身は北海道です。
読書とお絵描き、ひるねと美味しいご飯を食べることが好きです。
教育、まちづくり、デザイン、言葉、人、歴史文化、遊び、いろいろなことに興味があり、留まるところを知らないくらいあれもこれも気になります。
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