芳岡孝将(よしおかたかのぶ)- 女川ヒト図鑑No.9

芳岡孝将(よしおかたかのぶ)- 女川ヒト図鑑No.9

▼プロフィール

名前:芳岡孝将(よしおかたかのぶ)
出身:北海道札幌市
所属:女川向学館
趣味:サッカー
特技:何時間でも散歩できる
座右の銘:目の前の人を大切にする
出現スポット:向学館、にゅーこのり

 

▼5Questions

1 女川の好きなところ
➡外の人や文化に寛容なところ
2 自分だけのこだわり
➡こだわりをもたないこと
3 マイブーム
➡キャンプ
4 好きな人・尊敬する人
➡学校の先生
5 女川での印象的なエピソード
➡教え子が高校受験に成功し、夢に一歩一歩近づいていること

 

▼Deep Questions

【先生になることが夢だった】

将来の夢は、高校の先生になることでした。
子供と社会をつなぐような先生になりたくて、教員養成大学に入りました。

ただ一度先生になると身動きが取りづらくなるとわかっていたので、卒業後すぐには先生にはならず、日本とは違った教育現場を見たいと。
そこで、青年海外協力隊としてアフリカ・モザンビーク共和国に2年ほど行きました。

 

【大学卒業後アフリカへ】

「世界で一番貧しい国の教育とはどういうものなのかを知りたかったんです!」

現地では、仙台ぐらいの規模の都市にあるセカンダリースクールで物理を教えていました。
日本とは違い、教科書を買えない人もいて、自分が黒板に書いたものを写してもらったりしていましたね。他にも先生たちのコミュニティを作ろうと活動していました。

あるストリートチルドレンとの出会いもありました。
ほとんど教育も受けたことがないような子どもたちで、この子たちのために何かやりたいと心から思いました。

最低限の生活用品を揃えてあげたり、知り合いのアーティストに相談して、自分たちで稼げるスキルを身につけてもらいたいと、試行錯誤していました。
一方で言葉の壁の大きさを実感したり、自分たちにできることは限られているなと痛感しましたね。

東日本大震災が起きた時は、まだアフリカにいました。

 

被災地にすぐに行きたいという思いもありましたが、まずは目の前のアフリカの子供に対してできることをしようと思っていました。寄付を募ったり色々していましたね。

アフリカで学んだことは「百聞は一見に如かず」。実際に何が起きているのかは、現場を自分の目で見たり、現地の人と話してみたりしないと分からないということでした。

 

【帰国後東北を回り、カタリバと出会う】

帰国後、青年海外協力隊の同期2名と東北を回りました。
いきなり飛び込むよりも、まずはなにが必要とされていて、自分に何ができるのかを確かめたかったんです。

回っている時に、岩手県大槌町でNPOカタリバの活動があることを知りました。
車の中から「活動を見学させてもらえませんか?」とお願いをして、子どもたちへの授業を見させてもらいました。

神社の公民館での活動を見て、代表の今村が必死に教えようとしている姿や、子供も一生懸命それについていこうとする姿に惹かれました。

 

【カタリバで全国へ】

札幌に帰って、先生になろうとしていましたが、東北のために活動できることがあるのでは、カタリバで教育について学びたいという思いが強くなり、入社しました。

てっきり初めから大槌町行くものだと思っていましたが、偶然女川に来ることになりました。
そして数ヶ月女川で活動した後、大槌町でも活動をしました。

今度は地震が起きたのをきっかけに熊本に移り、2年間ぐらいコラボ・スクールの立ち上げ・運営に携わっていましたね。

熊本を経て、2018年にまた女川に戻ってきました。

 

【気づけば女川に】

初めて女川に入った時は周りもバタバタしていました。
一週間ごとぐらいに人が入れ替わり立ち替わり来ていましたからね。

地域の人と交流したり、女川で過ごす時間が長くなってきて、徐々に愛着が湧いていきました。そして女川の人たちのために働きたいと思うようになりました。

「土地とか場所よりも、そこで生活をしている人に惹かれるんです!」

 

【新しい教育を女川から】

今は、子どもたちが過去を振り返ったときに「あの時成長できてよかったなー」と思えるサポートができたらと想って活動をしています。
また女川の人達と、どう一緒に活動していくかを大切にしていますね。

女川ほど挑戦できる環境は、ほとんどないんじゃないかと思います。
「女川でできなきゃどこでできるんだ!」ぐらいに思っています。

これからも教育や学校の中で色々なチャレンジをしていきたいです!

 

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