女川の街あるき

女川の街あるき

藤岡です。女川滞在4日目が終わろうとしています。

これまで町の色々なところを歩いてみたり、飲み屋に通ってみたりして、とても密度の高い日々を過ごしていて、今日はそのことを記録しておこうと思います。

まず、初日に案内された東日本大震災遺構についてです。下の写真は津波で流されてきた旧女川交番だそうです。横につき出ている柱は私の身長ほどの大きさがあったかと思います。写真ではなかなか伝わらないかもしれませんが、建物がまるまる一つ地面から引きはがされ流されてきたということですから、津波のおそろしさがよくわかります。

この遺構は震災移行、流れてきたその場所で手をつけず残されているようです。10年以上経過して、写真の奥側では木々が生い茂ろうとしており、震災からどれだけの月日が経ったのかを思い起こさせてくれます。

この写真は遺構の回廊に展示されているパネルです。2011年3月29日と記載されておりますので震災から2週間半経った段階です。女川の人々は、通れる道すら全く見えないこのような段階から瓦礫を片付け、コンテナの商店街を建て、いまの女川に向けて町民で話し合って復興を進めたわけです。その苦労や努力、津波で何もかも失われてしまったところに希望を見出す大変さというのは、現代のわれわれが復興の記録を読むだけではきっと想像もできないほどのものだったのだろうと思われます。

宮ケ崎と呼ばれているところを山沿いに歩いていると、女川いのちの石碑を見つけました。これは東日本大震災当時、小学校6年生だった女川の子供たちが「千年後の命を守る」という強い思いを込めて10年かけて女川の各地に建ててきたものだそうです。これについてはWikipediaの記事がありましたので下に載せておきます。

女川いのちの石碑

最後に「SPICE CURRY Blue Coral Reef」というお店でスパイスカレーをいただきました。黄色い花びらが浮いているかと思いますが、これが大変によい香りでとても印象的な味でした。スパイスのむせるようなキツさが全くなくて、程よい辛さと良い香りとで今まで食べたことのない旨さがあって、他のひとにも是非おすすめしたいと思っております。

投稿者プロフィール

藤岡
藤岡
私は一橋大学大学院の学生で、企業家に関する研究を行っています。

企業家活動とそれを支援する諸制度の地域的・地理的な集合と相互作用は企業家エコシステムと呼ばれますが、この大規模で複雑な構造の形成過程に関してはエコシステム全体のマクロ的変遷が追われているばかりで、実際にどのようなメカニズムで形成されるのか明らかになっているとは言えない状況です。当初は分散していた企業家同士の相互作用が次第に統合されまとまりをもっていく、ということが一貫して指摘されていますが、個別の企業家活動が行われている状況とそれが地域全体でまとまりをもっている状況との間にはかなりのギャップがあります。

どのようにして企業家の相互作用は結びつき一体感を帯びていくのか。その問題に取り組むためには企業家エコシステムの形成過程においてアクター間で実際にどのようなやりとりがあったのか丁寧に調べていく必要があると考えております。

女川では東日本大震災以降、復興のなかでどのようなやりとりがあり、どのようにして起業家の町としての雰囲気を醸成してきたのかというところを調べたいと思っております。地域全体での企業家活動がどのようにして勃興するのか、そのプロセスを解き明かす手掛かりがあるのではないかと考えております。ぜひ地域の皆様と交流して町の雰囲気を肌で感じながら、女川の復興プロセスに関してお話を聞かせていただければと思います。
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