女川から東京に帰ってきて。

女川から東京に帰ってきて。

女川から東京に帰ってきて1ヶ月半。

最後のブログ投稿を忘れていたことを理由にして、女川での2週間を経て、自分の中に生まれた心境の変化を少しだけここに残しておこうと思います。

①なにをするか、ではなく、どうあるか。

女川に来て強く感じたのは、その人「らしさ」です。2週間の間であらゆる人と出会い、たくさん交わりを得ることができたけど、そのひとりひとりが、その人らしさを持っていたように思います。東京では時の流れの速さに追いつけなくなることが度々あります。(愛知県の田舎出身のものとしては特に。)なので帰ってきてから1週間くらい、東京の時の流れの速さがショックで調子が悪い期間が続きました。自分の「らしさ」ってなんだろう?と自分に矢印を向けて考えたいのに、日常がのしかかってきて外へと矢印が向いてしまう。女川での記憶をちゃんと残しておきたいのに、後片付けのように消費的に記録してしまう。時の流れに追いつけず、消費的に生きてしまうことが1番の辛さでした。だからこそ、女川の人たちから教えてもらった、というか私が勝手に感じ取った「らしく生きる」ことの大切さを身に沁みて感じました。どの大学に行くか、どんな活動をするか、どこに就職するか、それらももちろん大切だし、自分を守る武器としてはわかりやすく存在してくれる。でもそれ以前に、自分自身がどうありたいのか、誰とどこでどのように生きたいのか、という問いに向き合ってみようと思ったし、ありのままの「牧野珠実」で生きていける世界線を探したいと思うようになりました。抽象的な表現かもしれないけど私の中ではとっても大きな変化。これに気づかさせてくれた女川に大きな感謝です。

②「俺、女川大好きなんだよ」

これはsugar shackの店主、しゅうへいさんの言葉です。しゅうへいさんは女川で出会った人の中でもすごく印象的で思い入れが深い人。2人で話した時間も1番長かったと思います。そんなしゅうへいさんが放った言葉「俺、女川大好きなんだよ」。これが今でもずっと忘れられずにいます。私は現代社会を生きる1人として、「好き」を「好き」のまま信じ続けることの難しさに直面させられることが多くありました。それにはあまりにもノイズが多すぎること、そしてジャッジメントに晒される恐れが消えないことがこの難しさを作っているのではないかと私の中で仮説を立てていたのですが、しゅうへいさんは自分の「好き」を語ることに全く恐れを感じていなかったし、その「好き」へのまっすぐさを感じました。シンプルにそんなしゅうへいさんの姿に感動したと同時に、その好きの対象が「女川」だったことに、より心動かされるものがありました。女川で育ったしゅうへいさんと、縁もゆかりもない私。よそ者と呼ばれてもおかしくない、一お客さんであった私に、しゅうへいさんはこの町が大好きだと伝えてくれました。それを伝えられた時に町が受け入れてくれていることをものすごく感じました。愛を内側にとどまらせることなく外に伝えてくれた、愛の輪への歓迎をされた気がして、すごくすごく嬉しかったです。「好き」に素直でいつづけること、あらゆる荒波に揉まれていても、しゅうへいさんの言葉を思い出して、大切にしていこうと思います。

 

1ヶ月半以上経っても、まだまだ鮮明に覚えている女川での日々。

私の心の中には確実に女川のみなさんに蒔いてもらった種がたくさんあるし、少しずつだけど、芽を出してきているのかなと思います。いつか太陽目掛けて高く伸び、花開く時が来たら、女川に戻って大きな声で言いたいです、「ただいま!!」ってね。

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