十円硬貨を、円と見る人がいれば、長方形と見る人もいる。物事や人の見方を人にそうさせるのは何なのだろう。
七日目(9/13(金))。
この日は朝から石巻へ。6月から毎月参加しているNPOさんでの見守りボランティア活動に参加。
このボランティア活動のオリエンテーションで今も胸に刻んでいることがあります。
『大規模な天災でコミュニティは3回崩壊する』。
①日常から避難所へ。
②避難所から仮設住宅へ。
③仮設住宅から出るとき。
その時居た「場」で紡いだ、人と人のきずなが、三回断たれてしまう。そして、これを新たに紡ぐのは、大変な心のエネルギーを必要とします。ことに高齢者や障がい者など、事情あって身寄りが近隣にいない人は尚更です。隣近所に同じ被災された人はいる、だけど心ゆるせる知己ではない。
これをケアすべく、私が参加しているNPOは月イチで新聞を発行、これを市内の公営住宅を各戸訪問して配布することで、住民の皆さんの見守り活動をしています。震災直後から仮設住宅の訪問から始まった活動は今年で8年目になろうとしています。
訪問する方々は、本当にさまざまな方が、さまざまな事情を、話せる相手もなかなかいない中で、日々を送っておられます。「来てくれてうれしい」「話を聞いてもらえてよかった」「毎月楽しみにしている」といった言葉をいただくと、うれしい半面、今も消えない疑念が浮かんできます。
人にとって本当の孤独は、物理的なものではなく心理的なものではないでしょうか。こうした“メンタルハザード”を、政治や行政が、天災による二次災害と捉えないなら、何のための、誰のための「公共の福祉」なのだろう、と。これは自分ひとりでどうにかなるものではないですが、何がどうなればいいのか、誰がどうすればいいのか、考えていきます。もう、傍観者ではいられない。
夕刻まで活動したあと、女川に帰ってきました。女川に帰る。その言葉を反芻したとき沸き上がった、何か無性にくすぐったいような、不思議なうれしい気持ち。前回も書きましたが、自分を受け容れてくれる「場」がある喜び。ボランティアで感じた「孤独」と逆の思い。
ふと思いました。僕が女川に受け容れられているという感覚。もしかしたら、それは僕が、女川という町をまるっと受け容れているからかもしれません。そこにもしかしたら、“メンタルハザード”を打破する鍵があるように思った“マキセン”の車中でした。
女川に着くと、初めての「SUGAR SHACK」さん。独り飲みや外飲みをしない自分にとって、ラスボスのダンジョンの扉を開けるくらいの勇気(←大仰;笑)。
中にはダンディな、長靴姿の男性客おひとり。こちらから、お試し移住で来てます、と自己紹介すると、どちらから?とか、女川へはなぜ?など聞いてくださり、お話するうちにリラックス(笑)。こちらから、「今度「おかせい」さんでお手伝いさせていただくんです!」と話すと、男性が、ん?という顔に。同時にカウンターのお姉さんが「こ、この方…」とびっくりされたようなお顔。え?何か不味いことを言った!?すると男性がおもむろに「ぼく、そこの社長です」。
口から心臓が飛び出るとはあのような心情を言うのでしょう、三歩くらい後ろに飛び退いて、「失礼しましたー!」と改めてご挨拶(笑)。ご笑納下さった社長、本当にありがとうございました❗️改めてお仕事がんばります❗️🙇でも、本当にご縁ってあるんですね❗️❗️
そのあとも、フランスから来たという方と、こちらのカタコト英語を理解していただきながらお話。「母国語でない会話で重要なのは、通じ合おうという気持ち」で一致。
重なりあう、つながり合うって、時にややこしかったり、めんどくさかったりするけど、やっぱりいいな。
八日目(9/14(土))。
朝から気持ちのいい青空。洗濯を済ませるとシェアハウスから自転車で図書館へ、読みかけの本を読み終わる。素敵な図書館。居心地本当に最高。本好きにはたまらない。
このあとは、事前勉強(笑)と、おかせいさんが浜焼きをするというので、ハマテラスへ。たくさんの人、人、人!そして、浜焼き、美味しそう!すっごく美味しそうな匂い!
浜焼きを堪能(?)したらお腹が空いたので、初「りぼん M」さんへ!気になっているランチがあったんですよ☺️
女川の海の宝石・ほやと、カルボナーラのマリアージュ✨、その名もホヤボナーラ❗️潮の香りとチーズの風味と。添えられたスープもメインディッシュを引き立てて、いやぁ美味しかった…(*´∀`)
食後のコーヒーを「Cebolla」さんで飲んでいたら、本当にたまたま会話が弾んだ、女川生まれ女川育ちの若いお母さんとおしゃべり。色々お話ししてくれて、たくさんお話聞いてもらったけど、いちばんインパクトがあった言葉。
「女川って、前へ進んでいこう、っていう熱量というか、エネルギー半端ないじゃないですか」
「だってもう、振り返っても後ろに振り返れるものはないし、前に進んでいくしかないですから」(即答)
二十代半ばと言っておられましたが、これが、若さ故のたくましさなのか、達観なのか、諦観なのか、今の僕にはわかりません。
ただ、ここ数日の、濃密という言葉では淡すぎる、とんでもない量の情報は、混沌‐カオス‐なら混沌のまま、抱えていこうと思います。
九日目(9/15(日))。
ここまででたくさんInputされるものがあって、それに整理が追い付かないのもあったのか、この日はのんびり、気分にまかせて街中を散策して過ごしました。ぼー、っとしていても、怪訝に思われない町っていいですね😅
女川駅の後ろ、山々に沈んでいく夕陽を見送りながら思いました。
人の、心の色は一様ではありません。その時々に縁している人やモノや場によって、どのようにでも変わるからです。だから、今すぐ答えが出ないなら、そういうものなのだと、抱えていこうと思います。
十円硬貨は、円でもなく長方形でもなく、十円硬貨なのだと。
To be continued.
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