潮風とガラパコス

潮風とガラパコス

半年ぶりの女川の潮風は、最初に来た5年前とも次に来た3年前とも、そして今年の3月とも違う爽やかでどこか落ち着いた風でした。心が一瞬で軽くなる風でした。

〜景色は心の変化を映す鏡である〜

そんな言葉を思い出します。気分が晴れないと晴れ空も曇って見えるように、同じ景色でもその時の心によって見え方・感じ方が大きく違ってきます。例えば、前までは特に何とも思わなかった小牛田の田んぼの景色も、昨日電車から目に入った時は「何でだろう」と思うくらいノスタルジックに感じてしまう。その時になって改めて、自分が疲弊しきってるんだなと気付きます。 (女川に着いて早速、OCHACCOの康生さんと和華さん、昨日はじめてお会いした佐野さんとももちゃんのおかげで、かなりリフレッシュできました。相変わらず大好きなOCHACCOのままで何よりです。)

 

日常のSOP(Standard Operation Procedure)を止めるのって物凄く大変ですよね。日々のルーティンは、日常生活を生き抜く上で欠かせませんが、思考を停止させ、良くないと分かっていても負のスパイラルから抜けられなくなる要因にもなります。そうしたSOPを遮断する勇気をもってはじめて、今まで知らなかった空の青さと風の香りを知ることができるのだなと女川に来て思ったりもします。

 

これってまちづくりにも当てはまるのではないでしょうか??

これまで日本の地方自治体は、住民や観光客を集めるために、いわゆるハコモノを沢山作り、いかに住民に給付する量を増やせるかということに政策目標を置いてきました。全体のパイが拡大している時代やバブルの時代はこれが功を奏した。熱海がその典型例です。しかし、バブルが崩壊し、人口が縮み続ける時代に入っても一度確立したSOPからは中々抜けられません。日本の自治体のほとんどの思考が既にガラパコス化されてしまっているというのは多くの書籍が指摘するとおりです(実際に今年の5月に訪問した自治体はそのような感じを体現してくれていました)。

その意味でも、女川の構造改革(←詳しくは前回滞在時のブログ記事で)は、日本の地方のまちづくりを考えていくにあたって非常に示唆的であることは間違いありません。昨日、町役場の土井さんにヒアリングをさせていただく中でも、先を見据え、常に発展のための仕掛けをしていく女川の行政・民間の連携のあり方は改めて聞いていて心踊るような気持ちになりました (土井さん、お忙しい中本当にありがとうございます)。あとはやはり、このような巧妙にできた糸をバランスよく操ることができる人材をどのようにして育成していくかにかかっているのでしょう。

現在、最良の策とされたことが10年後には「終わったコンテンツ」になってしまう事例は枚挙に暇がありません。武田軍は長篠の戦いで騎馬戦にこだわり、旧日本軍は艦隊決戦にこだわり続けた。いずれもその50年前までなら負けることはなかったでしょう。

絶えず時代に適応させていくまちづくりを実施していくためには、ちょっと面倒でも、自分とは考えの違う人たちと沢山会うようなことになっても、普段のSOPとは違う「空の青さや風の香り」に触れていくことが大事なのではないでしょうか。それが中々難しい。先の戦国史を振り返れば、武田勝頼と織田信長がそれを教えてくれています。

 

一瞬でも引き出しの幅を狭めてしまうと「ガラパコスの罠」は容赦なくやってくる。

女川も「ガラパコスの罠」に引っかかってませんか??

 

投稿者プロフィール

Shion Ohno
Shion Ohno
はじめまして!大野志温(おおのしおん)です。
東京都出身24歳。東京大学公共政策大学院修了後、都内で働いております。
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