女川にいると、そのあまりに普通の日常のために、ここが8年前に津波に流されてなにもかも無くなってしまって、そこから復興してきて今があるということを忘れてしまいそうになります。
なので、私は震災の遺構を見たいと思い、女川から車で3-40分のところにある大川小学校という場所に行ってきました。
震災の被害を伝える建物としては有名で、津波の後からそのままの状態で残されています。
校舎のある場所へ、2方向からの浸水で逃げ場を失った生徒と先生が約70人亡くなったという事実知り、その跡地を見ると当時の生徒の心境や自然の恐ろしさに、私はいままで抱いたことのない感情を心に確認することができました。
「水が来たときどういう心境だったのだろう」
「流されるとわかったとき、どれだけ怖かっただろう」
こういった問いを現地で発するのはとても危険でふとした瞬間に涙が溢れてきます。私は極力事実を客観的に観察することに集中し、コンクリートをえぐり、町をただの野原に変えた津波の恐ろしさを目に焼き付けました。
私たちにできることは、いつくるか分からない災害に備えること、教訓から学ぶことです。このような犠牲の上に我々が立っているということ、我々が彼らでもおかしくなかったという運命の偶然性に思いを馳せた、震災を肌で触れた最初の経験でした。