東京から、電車で揺られること5時間余。
宮城県は女川町にお邪魔しています。
車窓の外を眺めながら考えていたことは、
「思いの外、住宅地が延々と続いていること」
狭い狭い海と山の間を、びっしりと家々が埋め尽くしているんです。
地理的には宮城県内でもかなりの東端に位置する女川町が、あまり人恋しさを感じさせないのは、
あのリアス式海岸のお陰なのかもしれません。
ところで、なぜ「女川町」なんでしょう。
言われてみれば、不思議な名前です。
男子校出身の僕がまだ高校生の頃だっだとき、
もし「地名で選ぶ行きたい修学旅行先ランキング」を決めていたならば、
間違いなく熊本県女島に次いで第二位にランクインしたと思われます。
まあ、そもそもうちの母校はOBが30年前にやらかして、修学旅行がそもそも存在しないのですが。
とはいえ、気になったので調べてみると、
『女川』の由来は、前九年の役の頃、豪族 安倍貞任が源氏方の軍と戦った際に、一族の婦女子を安全地帯である『安野平』に避難させたことから、この地から流れ出す渓流を『女川』と呼び、のちに地名になったと伝えられています。(女川町公式ウェブサイト)
なのだそうです。先ほどは大変失礼な発言がありましたこと、読者のみなさまにはお詫び申し上げます。
話は変わりますが、実はわたくし、女川町に少しシンパシーを覚えております。
というのも、普段から
「ね、きいち君は出身どこなの~?」
「一応、東京です。(この人は出身ネタで話を盛り上げる自信があるのだろうか)」
と答えてきたのですが、実は0歳から8歳まで、島根県のとある漁師町で暮らしておりました。
その町は、公共交通機関を利用すると東京から最も時間がかかる町として有名なのですが(沖縄よりも!)、
ご多分に漏れず、町を盛り上げようという気概のある若者は少なく、また志ある青年は広島や大阪へと自分を試しに行きます。
僕は父の転勤で東京に越しましたが、残った人からは同じように見えていたのかもしれません。
果たして本当に、地方に「挑戦」は存在しないのか。
煌びやかなネオンに魅了された若者たちが、誘われるように町を出ていくことを、ただ我々は眺めることしかできないのか。
この町には、答えがある気がして。
そんな直感が、僕と女川町のきっかけです。
(平成最後の日は、いつも通りの一日でした。)