(できるだけ)「人」に頼らないまちづくりを探して

(できるだけ)「人」に頼らないまちづくりを探して

長くて短い女川での生活を終えて女川での学びを整理していると、ある種の不安に襲われることがあります。「女川町のまちづくりのノウハウを他の街にも応用できる気がしない・・・」と悩んでしまうのです。

もちろん、1つ1つの政策をみてみれば応用できそうなことはいくつもあります。例えば商店街をシャッター通りにしないための工夫です。一般の商店街だと物件は店主のもので、もし閉店してシャッターが下ろされてもその2階部分には店主の家族が住み続けることになります。結果として行政がなにも口出しできず、貴重な中心市街地の一角が無駄なものとなってしまうのです。そういった事態を避けるために、女川では物件はまちづくり会社が所持し、賃貸契約で店舗を構えさせます。2階部分も商店街全体で無くすことで職住分離を促し(女川町の場合はそもそも商業地区には居住できないのですが)、閉店してもそこに住み続けてシャッターを下ろすことを防ぎながら次の入居者が入ってくるのです。これは女川町初の政策かどうかは無知なので分からないのですが・・・全国の商店街にも応用できそうです。公民連携の在り方もやっぱり凄かったです(語彙力)。

ただ、わたしがここで言いたいことは政策のことではなく、女川町のまちづくりには本当に素晴らしい人が揃いすぎていて他の街では難しいことが非常に多いのではないかということです。女川町に限らず日本にはまちおこしに成功した自治体はいくつかありますが、そういった自治体を見ると「この人がいたから成功した」というような事例がいくつも見受けられる、というのはよくある話です。女川町の場合も、蒲鉾本舗高政の会長様や女川町長様がもしいなかったら・・・今の女川は間違いなく違う姿だったのではないでしょうか。

まちづくりは「人」がキーだということは頭では理解しています。けれど、まちづくりやまちおこしの分野で優秀な人が少ない自治体の方が、現実では多いのではと思ってしまいます。優秀な人がいるorいないで自治体の運命が決まってしまうというのはなんとも残酷ではないでしょうか。人口減少がつづくこれからの時代において、まちおこしが出来ないことは自治体消滅を意味するのです。

そんなことを考えて悩んでいたとき、少し面白い記事を見つけました。それは岸本千佳さんという方にフィーチャーされた記事で、『不動産で都市を再編集する』というものでした。岸本さんは不動産会社を経営している方で、現在は主に京都市と和歌山市でリノベーション事業を行っています。そして題からも分かるように、彼女はまちづくりの一環としての不動産というような観点を持っているのが興味深いのです。

彼女曰く、「まちづくりは評価軸が曖昧でよく分からない。この人がいたから成功した、というような不確実な要素も含まれる。それに対して不動産は『この物件の入居率は何%』だとか『この物件に入居した店舗の今月の売り上げは何円だ』というような評価軸が明確に示されているし、優秀な人が存在するしないという不確定要素はより排除できる」とのこと。自治体間の人材格差に悩んでいたわたしにとって、「不動産」というアプローチに注力することでまちを変えていくことに大きな可能性を感じたのです。これなら複数の自治体に関わることもできます。

記事に感銘を受けたわたしは岸本さんにすぐさま連絡を取り、5月にお会いできることになりました。女川町から学んだことのうち、他の自治体に応用できそうなことはしっかりと応用する。そしておそらく転用できない「人」の部分をどうするか考える。日南市のようにスーパー公務員を呼ぶのか、長期的な視点に立って教育を変えるのか、公民連携を推し進めるのか、不動産のアプローチをとるのか。正解は分からない。いや、どれも正解なのかもしれない。だからまちづくりは面白い。「人」に恵まれない自治体を、女川町のように盛り上げていくにはどうすればよいか。これからも考えていきたいと思います。

投稿者プロフィール

Saito Euro
19歳。防災を軸に活動を行っています。大阪市都島区の福祉避難所を、行政と地域コミュニティのつながりという観点から変えています。また、地域コミュニティの強化を目的に近畿圏の小中学校や公共施設等にて将棋を教えています。将棋元県代表・弐段。立命館大学ESSで防災情報伝達についてスピーチを通して学んでいます。最近は行動経済学や民俗学がマイブームです。ギター弾きます。#やさしいかくめいラボ
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