女川町のみなさま初めまして!齊藤由空(ゆうろ)と申します!今は19歳で、立命館大学政策科学部の1回生です。出身は群馬県で、現在は大阪府に下宿しています。
お試し移住プログラムで女川町に3月の14日までお邪魔させて頂くことになりました。
お試し移住プログラムの先輩のみなさまが素晴らしいブログを書いていらして恐縮ですが、私のブログもぜひ読んでいただけると嬉しいです!細かなこともTwitter(@1984_kino)で報告します。よろしくお願いします!
初めての投稿ですので、自己紹介と、なぜ女川に来ようと思ったのかということを織り交ぜて、「将棋」「地域」「減災まちづくり」という3つのワードを軸に、お話させていただきます。
まず「将棋」についてです。
わたしは小学4年生の頃から将棋を始めました。将棋が大好きで、両親や地域の方々の支えを受け、1年半で県代表になりました。現在は立命館大学将棋普及実行委員会という団体の代表を務めており、大阪府茨木市の教育委員会と提携関係にあります。仲間とともに茨木市内の小学校の授業に将棋の時間を組み入れていただいて小学生に将棋を教える先生をしていたり、市民センターで将棋教室を開催しています。女川町で将棋がお好きな方おられましたらどんどん連絡くださいね!
次に「地域」についてです。
わたしがお試し移住プログラムに参加した最大の目的は「女川町の公民連携の秘密を学ぶ」ことです。そこには「地域」に関する様々な背景があります。
まず1つは私の父について。小学5年生の時、わたしの父が地元の市議会議員に立候補し当選しました。父は商工会議所青年部の部長などを経験しており、まちづくりについて熱意を持っていた人でした。市政報告会でも独自のまちづくりワークショップを執り行うなど、公民連携を始めとした様々な改革を行おうとしていました。
しかし状況は好転しませんでした。原因をこれと決めつけるのはよくありませんが、他の議員の方々にそういった改革が理解されなかったようです。むしろ裏では癒着が繰り返されていたようで、改革派だった父は当然ほかの議員からの抵抗を受けるようになります。具体的に何をされたかまでは言及できませんが、そういった状況は父や私たち家族の精神状態を確実に蝕みました。そして父は任期を待たずに辞意を表明したのでした。政治や行政の世界に希望なんて持てない、公民連携なんてありえない、そうわたしは思い続けていました。
そんな思いから始めたのが地域の研究です。私は高校時代に高校理科部の部長を務めており、群馬県名産のこんにゃく芋から出る廃棄物のこんにゃく飛粉から、バイオエタノールを生成する研究を行ったり(日本エネルギー学会誌論文 こんにゃく飛粉からバイオエタノールの生成 2017 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie/96/6/96_199/_article/-char/ja/)、こんにゃく飛粉を蚕に食べさせたら絹の破断点伸度が伸びた(強度が上がった)といった研究に携わっていました。あくまで理科部の実績としてですが、前者は学会に論文を提出したり、後者はGoogle主催の大会で全国優勝しました。高校生での論文提出は珍しいようですし、かなり熱をもって取り組みました。両者の研究とも地元群馬県の特産に名産に関わるものであり、名産に関する研究をすることで地域の衰退を止めたい。そして父の姿を見て政治ではしがらみがあって何も変えられないけど、研究なら地域の力にはなれる。そういった想いがありました。
大学入学後は地域への思いを引き継ぎ、「減災まちづくり」の観点から、福祉避難所の人手不足を解消するためにフィールドワークを行っていました。そしてそこで再び、父の無念と同じ「公民連携の不足」という課題が浮き彫りになったのです。行政と民間の距離感が様々な問題を生んでおり、「ああ、またか」とその時は思いました。
しかし事態は今年の1月に動きました。ある関西の集まりで女川町公民連携室の土井さんとお会いした際に、土井さんの「女川町では公民連携が当たり前のように行われている」「逆に行政と民間が協力しない理由が知りたい」との言葉にわたしは大きな衝撃を受けました。というのも、父が実現できなかったこと、そして私が福祉避難所の現場で突き付けられている「公民連携」という大きな課題を、女川町はいとも簡単に実現していたからです。その土井さんとお会いした日から、わたしの頭の中は女川町のことでいっぱいになりました。
どうにかして女川町に行く方法はないか。インターネットで女川町に携わる方法を必死に探していたある日、Yume Wo Katare Onagawa の山崎さんがブログで「京都の学生は女川町を知らないなんて勿体ない。ウチで働いてくれたらお試し移住プログラムの費用は肩代わりするから京都の学生はおいで!」という趣旨を仰っているのを拝読し、親に相談もせずに山崎さんにお声かけして今に至ります。
女川町では普段はYume Wo Katare Onagawa で働かせていただきながら、お休みの日には土井さんを始めとした行政の方々、行政と連携している民間の方々にお話を伺うなどして、女川町の公民連携成功の秘密がどこにあるのかを探し出したいと考えております。同時に防災・減災まちづくりのノウハウなども学ばせていただきたいと思っております。
初日からOCHACCOさんにもお世話になりました!温かい人ばかりで心が安らぎます。女川町で精一杯働いて精一杯勉強させていただきます。女川町のみなさま、Yume Wo Katare Onagawa でお会いしましょう!
投稿者プロフィール
- 19歳。防災を軸に活動を行っています。大阪市都島区の福祉避難所を、行政と地域コミュニティのつながりという観点から変えています。また、地域コミュニティの強化を目的に近畿圏の小中学校や公共施設等にて将棋を教えています。将棋元県代表・弐段。立命館大学ESSで防災情報伝達についてスピーチを通して学んでいます。最近は行動経済学や民俗学がマイブームです。ギター弾きます。#やさしいかくめいラボ
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