女川交番が、まだそこにあるわけ

女川交番が、まだそこにあるわけ

こんにちは。西です。女川町には授業の一環として来ました。

まちづくりの新しい風が吹くプロムナード。海側に抜けた先には、震災で横倒しになった女川交番がありました。

新しいスタートを切っている女川に、震災の記憶を呼び戻す交番を残している意味はなんだろう。フューチャーセンターcamassでの須田町長のご講演のさい、友人がこのことを質問しました。

 

町長「この交番には、『震災を忘れないで』と訴えかける遺構としてだけではなく、『新たなスタートのシンボル』としての意味もあります。そのために、交番を残すことを決めました。」

 

新たなスタートのシンボル。この交番から、そういう前向きな見方ができるのか!と私は驚きました。

 

お話のあと、町長さんは別の用事ですぐにカマスを出られたのですが、偶然にもお戻りのタイミングにはち合わせたので、交番のことについてさらにお伺いしました。

 

町長「将来、女川にさらなる試練が訪れる時がきっと来ます。でも、あの震災を乗り越えて、この町はできました。女川は、何があっても絶対に立ち上がれるんです。女川の将来を担う未来の人たちに、このメッセージを届けたい。交番はそのためのシンボルです。」

震災当時、ここには、ふらっと訪れた私達には決してわからない深い悲しみがあったに違いありません。

しかし、女川町はその悲しみからすぐに立ち直り、前向きな発想に切り替えて未来のまちを創りました。この考え方は、災害から復興への道を歩むためにとても大切なのだと感じました。

 

静岡出身の私にとって、震災は他人事ではありません。

いつかやってくる経験したことのない悲しみから、私の町は抜け出せるだろうか。そして、将来の故郷を生きる未来の子供達に、どうしたら前向きなメッセージを伝えられるのだろうか。

大切なことを考えるきっかけを、女川町は教えてくれました。

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