佐藤敏郎(さとうとしろう)- 女川ヒト図鑑No.20

佐藤敏郎(さとうとしろう)- 女川ヒト図鑑No.20

▼プロフィール

名前:佐藤敏郎(さとうとしろう)
あだ名:としろう先生、としさん
出身:石巻市
所属:向学館アドバイザー、オナガワエフエムパーソナリティ
趣味:ギター、4コマ漫画
特技:漫画を書くこと
座右の銘:おもしろきこともなき世をおもしろく、すみなすものは心なりけり
(高杉晋作の辞世の句より)
出現スポット:向学館、カフェ・ごはん・セボラ、オナガワエフエムスタジオ

 

▼5Questions

1 女川の好きなところ
➡心意気
2 自分だけのこだわり
➡分かれ道の時は後悔しない選択をすること
3 マイブーム
➡昭和の名曲やドラマを見ること
4 好きな人・尊敬する人
➡吉田拓郎、ビートルズ、キャンディーズ、ウルトラセブン
5 女川での印象的なエピソード
➡震災が起きた年の10月に開催された秋刀魚収穫祭

 

▼Deep Questions

【歌って踊れる教員時代】

大学卒業後、国語科教諭として宮城県内の中学校に勤務しました。子どもの頃『われら⻘ 春』という⻘春ドラマがありまして、中学の担任がドラマと同じような熱血先生だったんで す。もろに影響を受けました。ちなみにわれら⻘春の先生役は女川出身の中村雅俊さん でした。

生徒指導だよりや学級だよりに4コマ漫画を連載していました。「眉毛をいたずらしない ように」とか漫画で指導していました(笑)女川では子供向けに『まなぶくん』、中高年向け に『昨日のジョー』、お⺟さん学級向けに『ホヤ子さん』を連載していました。
新任の先生の研修会で「学級作り」についての講義も担当しました。研修といってもレク リエーション大会ですけどね。卒業生にもよく会うんですが、授業中の雑談だけ覚えている と言われます。教員時代は楽しい思い出ばかりです。

【女川での思い出】

平成14年4月から学校を離れ、県からの派遣という形で3年間女川町生涯学習課に勤務しました。子どもからお年寄りまで多くの町⺠とふれあい、泣き笑いした3年間でした。その時始めた中高年のつどい『大人のたまり場』は現在も続いています。
その後学校に戻り、9年間女川第一中学校(女川中学校)で国語教師として勤めました。 石巻ではずっとバレー部の顧問をしていたのですが、女川では野球部の担当に。大沢の阿部コーチの熱血指導でメキメキと力をつけました。

平成19年の県大会は石巻地区での開催で、我々の1回戦の会場は女川球場でした。そこで優勝候補を撃破。その勢いでどんどん勝ち上がって3位になりました。町の皆さんの盛り上がりは、今も思い出します。平成21年には石巻かほく杯で優勝もしました。元々女川は野球が盛んな町で、甲子園球児、プロ野球選手を輩出しています。女子のソフトボールチームも強く、PTAの球技大会はレベルが高くて大変でした(笑)
震災の時はバレー部の顧問。体育館が使えず、校庭に手作りコートを作って練習しました。 なつかしいなぁ。

【垣根を越えてつながる】

その後、平成26年に東松島の矢本第二中に転勤、1年後の27年3月に教員を退職しました。震災前から「学校は外と繋がったほうがより豊かな学びになる」だから、学校と学校外を繋ぐ役割を担いたいと考えていました。やはり女川の生涯学習課での経験が大きかったと思います。
震災を機に官・⺠や学校というような垣根を越えて協働する意義がより一層高まったと思っています。

女川の中学校では震災の年の5月、全校で俳句作りをしました。あの情景、心情を言葉に させていいものか迷いましたが、生徒たちはしっかり向き合い「みあげれば がれきの上に こいのぼり」などの句が生まれました。この取組みは本になり、教科書にも載っています。 平成28年には東松島で出会った生徒たちと一緒に『16歳の語り部』という本を出版しました。震災当時、宮城県東松島市の小学5年生だった彼らの等身大の「語り」をまとめた一冊の本で、厚労省から表彰されました。女川でも売っています。買ってみてください(笑)

平成26年4月からは女川さいがいFM(現オナガワエフエム)のパーソナリティも務めています。最初に担当したのは昭和フォーク、歌謡曲を紹介する『牡鹿半島フォークジャン ボリー』という番組で、よく町⺠が⾶び⼊り参加して盛り上げてくださいました。

【いつか女川に恩返しを】

平成14年から今に至るまで、語りだすときりがないほど色々な面で女川の方々にはお世話になりました。震災後も学校、そして私個人を本当に支えていただきました。生徒にもす ごく感謝しています。どんな形でもいいから女川に恩返しをしたいです。
女川の震災からの復興の過程を、子供たちの学びに生かせたらいいなぁと思っています。 苦労話を聞かせるわけではないのですが、あの日から立ち上がり、みんなで力を合わせてき た町の歩みを学びにしない手はありません。どんな状況でも希望は消えないことを教えて くれる最高の教材です。
震災後に生まれた子供も増えています。あの日のことはもちろん、あの日までの町の様子 も知ってほしいと思っています。

【最後に一言】

『大人のたまり場』というつどいを、毎月続けています。昭和ソングを歌いながら、おしゃべりをするざっくばらんな会です。誰でも気軽に参加できます。興味のある方は、『カフェ・ごはん・セボラ』さんまでお問い合わせください!

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