震災前と震災あとをつなぐ船頭さん

震災前と震災あとをつなぐ船頭さん

女川お試し移住者のパルコキノシタです。

金華山に行って帰って来て、色々思う事があるのですが女川の現状には

様々なレイヤーがあって、見た目に道路やインフラが整備されて新しい町になっていく姿と全く別の

昔住んでいた人口をどうやって増やして行くかとか

そういうことを船頭さんの話を聞いていて少し考えさせられたかな

金華山に行く船の船頭さんの興味深いところは、女川の現状について

ポジティブな所だけじゃなくて、ネガティブなところも観光客に包み隠さず

話をしてくれる事でした。

震災から7年たっても女川から見える島々は至る所で岩肌が津波によってえぐられており、

初めて見ると堂という事は無いが、指摘されてみると7年経っても津波の傷跡というのは

けっこうあるんですね、塩害で木が枯れてしまった島の岩肌、それを説明してくれたり、

震災前は金華山に参拝する観光客は40万人とも50万人とも言われていたのですが

これだけ復興しても、現在の参拝客は震災前の16%に満たないそうです。

女川町は人口を増やすという発想から転換して他方から気安くする交流人口を増やす

努力をしているのだそうです。

今女川町には国費が投入されて、とても奇麗な道路や住宅が建っていますが

一番肝心な人の復興がまだまだ大変だと

ちょっと来てすぐ帰る観光客にはそれが見えないことも教えてくれました。

僕はこの金華山はすごくいい体験したし、なんか100万人くらいすぐ観光に来てくれそうな気が

しているんだけども、なんかやっぱり「津波こわい」のイメージはこれからも続いて行くんでしょうかねえ。

船頭さんは、金華山に行くお客さんが30人でも油代は赤字なんだと、結構赤裸々に言うんですけど

でもどんだけ赤字でも金華山観光を女川がやめてしまったらそれは神様をあきらめる事になりますから

客が少なくでも女川ー金華山航路は続けなければならない決意のようなものを感じましたし、

島に行った僕自身がめちゃめちゃ島を満喫しましたから

十分満足に値するいいクルーズだったと宣言しているわけです。

「女川ー津波ー怖い」みたいなイメージはもうさすがにないとは思いますが

僕はですね、まあ、普通こんなにネガティブな事は言わないよな、というような事を

船頭さんが言っているのを聞いているとですね、なんかすごい頑張っているのがわかってしまうんですね。

復興ってきれいごとじゃなくて、辛い思いをしたり、我慢したりしている

人間の物語がちらちらと、見えてしまうんです。

ただでさえ今の日本は、少子高齢化とか、中央にいろんな権力が集中していたりして

小さな地方都市は、震災に関わらず先行きの不安というのものはかかえて暮しているんです

これは女川だけじゃなくて、いまの都市以外に住む日本人全員です。

僕はこう、辛い事がたくさんあって、仲間の船が転覆していく姿をみたり、

沖から故郷が津波に飲まれて行くをその目で見たと言いながらも

金華山で参拝したら41才で子供が出来たとか

ちょっとおめでたい話も混ぜていく船頭さんの物語をノンフィクションで

ドラマチックになぜか船の中で聞かされた30分間というのが

他に代わりの効かない重要な時間だったなと思いました。

神社ではたくさんのお土産やおみくじを売っていた金華山神社ですが、その中で一番気に入ったお土産は

この鹿のおみくじでした。神の使いの鹿が幸運を運んでくれようとしています。

写真はいったん読んでまた丸め直して口に戻した僕のおみくじです「吉」とでました。

僕が言いたいのは、どんだけ震災や津波が襲って来ても

神様はひっこさないということです。そこに金華山がある限り

女川もあり続けるのだから、最近金華山に行ってないというリピーターも

このブログを呼んだら行って欲しいなと。

こう思います。

いつの世の中でも、祈りは大切です。

僕なんかも最近弱っていた膝に願掛けてきました。

子供が欲しい人や宝くじ当てたい人も

参拝客が減少している今こそどうか貸し切りで

パワーをもらいに金華山へ行ってください。

 

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