女川を通して『福祉避難所問題』を考える

女川を通して『福祉避難所問題』を考える
立命館大学政策科学部 Research Proposal Competition 福祉避難所の機能不全の可能性と解決策~地域コミュニティに求められること

地震が来た。まずは近くの一時避難所に避難。その後、小中学校などで二次避難所が開かれて体育館と教室で生活をする-このような避難所生活へのイメージが世間では最も一般的です。しかしこれには続きがあります。仮設住宅の整備などは一度置いておき、災害から3日程度で「福祉避難所」が開設されるのです。

「福祉避難所」という言葉を聞いて、ピンとくる方は少ないのではないでしょうか。

福祉避難所というのは、高齢者、障がい者、妊婦・・・すなわち「災害弱者」と呼ばれる方々が避難所生活をより快適に送ることができるよう用意された二次避難所のことを指します。

自閉症の方を例にさせていただきます。自閉症の特性には個人差がありますが、人混みを見るとパニックになる、偏食が激しく避難所の食糧の一部の消耗が激しくなり他の避難者とトラブルになる、といった事例が報告されています(『発達障害児者の防災ハンドブック)より)。自閉症の方々の一部の困りごとだけでこれなので、災害弱者の方々全体の避難所での不便と言ったらそれは計り知れません。災害弱者を支援する必要性から、老人ホームや就労支援施設といった福祉施設の福祉避難所への指定が全国的に進められているのです。

しかし、福祉避難所にはある潜在的な問題があると、大阪での福祉施設での活動を通してわたしは気づきました。物資の不足や避難所施設としての経験不足も挙げられることですが、ここでは「職員の人手不足」について焦点を当ててみようと思います。わたしが大阪市都島区京橋で活動をしていたある福祉施設は、都島区役所から福祉避難所に指定されています。そこでは入居者数が15人ほどに対して、職員は4人態勢で日々対応に当たっています。職員のHさんは「はっきり言って人手不足なんですよね」と語ります。

もしそんな状況で地震が起きた場合、福祉避難所に指定された福祉避難所では一体何が起きるのか。ただでさえ普段から入居者数と不釣り合いで人手不足なのにも関わらず、地域の災害弱者(+そのご家族)が避難してきます。また、大阪の場合は交通機関がマヒするとそもそも職員が施設まで辿り着くことが出来ない可能性が高いなど、人手不足はさらに深刻化します。福祉避難所が成り立つのかも怪しいと考えるほうが自然なのです。

『女川町東日本大震災記録誌』(2015)によると、女川町では地域防災計画において福祉避難所は定められていなかったが、最大の避難所となった総合体育館では増えていく避難者への対応に追われ、要援護者への個別支援が行えるような状況ではなくなり、旧老人保健施設食堂・居室に福祉避難所を設けたとあります。福祉避難所震災直後の3月15~19日、女川町の福祉避難所には避難者44名に対し職員は僅か3名しかいませんでした。老人ホームの「3:1」から考えると、この職員の少なさは圧倒的です。この事実をわたしたちはどう認識するべきなのでしょうか。

女川ではお試し移住でお世話になっていた大野志温さんの粋な計らいと女川町長様のご厚意で、女川町長様へのヒアリングが実現し、わたしも参加させて頂きました。女川町としては、いつか分からない福祉避難所が必要となる事態のために追加の職員を常時させておくというのは非常にコスパが悪く、かといって確実な避難所運営のために何か有効な対策を打ち出すことが出来ているのかと言われればそうでもないとのこと。

災害時の職員が不足しているならば、地域コミュニティの力を借りるしか方法はないのではないか。街にあるいろいろな団体に協力をしてもらうために、平時から福祉施設と関わりを持つ、あるいは協定を結ぶことが解決に繋がるのでは?という、今となっては浅い考えをわたしは大阪の区役所や社協、福祉施設の職員らの前でプレゼンしていました。実際、都島区ではそれに近い取り組み(イベントを開く、婦人会と連携・・・etc)が行われています。女川でもそのような考え方は応用されているのではないか、と勝手に考えていました。

大阪市で開いたプレゼン&ワークショップ
立命館大学政策科学部 Research Proposal Competition でのプレゼン福祉避難所の機能不全の可能性と解決策~地域コミュニティに求められること

 

しかし、震災直後の女川の避難所や地域コミュニティ崩壊の様子を複数の方からお聞きしたことで、その考えは簡単に覆されました。避難所はスフィア基準など無視。廊下まで避難者でいっぱいで足の踏み場もなかった。みんな自分が生きるので精いっぱいだったし、避難所の運営なんて手伝える余裕が出てくるのは震災から2週間ほど経ってからだった、という証言をいただきました。有事の際には地域コミュニティの協力も期待できるとは言えなさそうです。

ここで、わたしが活動をしていた福祉施設の施設長のある言葉を思い出しました。
「どうして福祉避難所なんて作ったんだ?その疑問に思う心を大切にしてほしい」
ここまで解決策が見えないとなると、福祉避難所がどうして存在しているのかと考えるようになりました。災害弱者の支援のためというのは分かりますが、人手不足ならば福祉避難所という概念は成立していません。女川に来て、施設長が仰っていた言葉の意味がようやく理解できた気がしました。

この問題の解決策はいまだに分からないままです。しかし「福祉避難所は成立しない」ということははっきりしたような気がします。区役所の方と真剣にお話してみることにします。災害弱者のための、避難所の新しい形を探して。

投稿者プロフィール

Saito Euro
19歳。防災を軸に活動を行っています。大阪市都島区の福祉避難所を、行政と地域コミュニティのつながりという観点から変えています。また、地域コミュニティの強化を目的に近畿圏の小中学校や公共施設等にて将棋を教えています。将棋元県代表・弐段。立命館大学ESSで防災情報伝達についてスピーチを通して学んでいます。最近は行動経済学や民俗学がマイブームです。ギター弾きます。#やさしいかくめいラボ
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