女川式構造改革~4つのエッセンスと復興のカタチ~

女川式構造改革~4つのエッセンスと復興のカタチ~

「女川は流されたのではない。新しい女川に生まれ変わるんだ。」

3年前に初めて拝見して「何年か後にもう一回来てみよう」と思ったスローガン。まさに女川流の復興のあり方を示していると今は実感します。

女川が8年間でやってきたこと-これはまさに「構造改革」だと言って間違いないと思います。少子高齢化、生産年齢人口流出、ハコモノ行政、長老社会、地場産業衰退・・・全国の地方自治体同様、これらはすべて2011年3月11日以前に女川が抱えていた問題でもありました。「分かってはいるんだけど」改革には踏み切れない。この文面を書くだけでも当時の関係者のそんな声が聞こえてきそうです。

 

そもそも「構造改革」とは何でしょうか?政治の世界でいうと、当時の小泉旋風の中でしきりに叫ばれたスローガンであり、アベノミクスにおいても「三本の矢」のうちの1つにもなっています。これまでの利害構造や組織構造を変えることで社会における問題を解決するという最も抜本的で痛みの伴う政策ツールの一つです(当然、企業経営にもその概念は存在かつ重要視されています)。「言うは易し、やるは難し」の典型といってもよいかもしれません。

 

ではなぜ、構造改革が必要か?歴史作家の塩野七生が描く古代ギリシアやローマの世界を旅すると、時代のニーズに合致しない構造の継続は、いかに導入時にどれだけ立派なものでも結果として不幸な帰結をもたらすということが分かります。アテネとローマの究極の差はこの構造改革に成功したか否かにあるのでしょう。

 

脱線しましたね・・・

 

さて、女川はどうか?

一つの巨大な津波がその「構造」を一気に変えてしまいました。いや、正しくは、構造など「気にしてはいられない」状況へと町を追い込んでしまいました。

ここで辿り着いたのが「女川式構造改革」です。津波によって呑みこまれてしまった町を、これまでも問題となっていた社会課題の解決に繋げる形で再構築するという思いで、官も民も中間団体も、漁業者も商工業者も、町民も町外の人も、「同じ山頂」を目指しながらそれぞれのアプローチでまちづくりを進めていくという奇跡のような取り組みを始めていったのです。単純な比較はできないものの、「創造的復興」をスローガンとして掲げる熊本県の基礎自治体では旧構造が見える形・見えない形で温存されていることと比較すると、女川の変化の大きさがより際立ちます。

 

では「女川式構造改革」のエッセンスはどのような点にあるのか?以下の四つに着目したいと思います。

 

1)Shared Value(価値の共有)

先に書いたように、これが一番大きな特徴だと思います。あらゆるセクターが「合意された価値」をもとにまちづくりに取り組むことで、構造改革に一貫性が生まれます。後のブログで書きますが、この価値の共有は計画の細かな実施面にも現れているように思えます。「簡単なことじゃないか」と思いますか?実は復興のみならずあらゆる構造改革においてこれを徹底する仕組みづくりが最も難しいのです。

 

2)「右手に志、左手にそろばん」(経済合理性)

ただ「意志」を持っているだけでは改革は成功しません。それが無理のない範囲でかつ実現可能なのかという命題はつねに考慮に入れていないと誰もついてこない、反動を伴う改革になります。女川の取り組みでは、復興デザインにおける関係者のほとんどがこれを意識していることに驚きました。その一方で、一社のみの独占状態で競争が生まれず結果的に住民が不便な状況に置かれているタクシー業界なども残存しているのも現実です。

 

3)意思決定における高齢者の「退場」

震災の後、復興計画を最初に考える際、「還暦以上は口出すな」との大号令のもと、10年・20年後に町の中核を担う若い世代に復興のグランドデザインを託し、口を出せない世代は若者の「弾除け」(サポート)を行う役割を担いました(女川では非常に有名な話です)。これは、新たな価値設定が可能となっただけでなく、若い世代が当事者意識を強く持ちながらまちづくりにあたることを可能としました。

 

4)人間関係資本におけるパラダイムの転換

これに関しては、なかなか面白いので後々のブログで1回分使って書きたいと思います。

 

*“Accidental” Structural Reformation

最後に、上の3つが他自治体や国家全体にそのままの形で適用することが可能かというとそうはいきません。なぜなら、このような変革は津波という過酷で甚大な “accident”に負うところが多いからです。しかし、エッセンスを抽出し、自身が変革しようと考えている組織に合った形で構造改革を行うことは難しいが可能であるといえるでしょう。

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これらは、この2日間のアスヘノキボウさん主催「きっかけプログラム」に参加し、女川の復興を主体となってデザインしてきた人々からお話を聞く中で実感したことです

(やっと何やったかについての話が出てきましたね・・遅すぎます)。

知れば知るほど面白くなってくるのが女川の魅力だと思うので、これからどんどん吸収していきたいと思います!

 

投稿者プロフィール

Shion Ohno
Shion Ohno
はじめまして!大野志温(おおのしおん)です。
東京都出身24歳。東京大学公共政策大学院修了後、都内で働いております。
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